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活動報告(33)

第29回講演会「日本にあった外国の郵便局」

日時: 2010年2月17日(水曜日) 16−18時30分

会場: 住友化学・参宮寮

講師: 松本純一 氏 日本郵趣協会 会長

講演: 「日本にあった外国の郵便局」


出席者: (敬称略 順不同)
      松本純一(講師) エムさん 関根 横塚 津田 丹羽 越智 佃 小山
      布野 横山 鈴木 KAME とまと マーチャン 可否 ムーミンパパ
      多摩のけん GRUE   合計 19名


講演要旨

1. 日本開国、開港までの経緯


  1853年ペリー提督の「浦賀来航」、1854年「日米和親条約」締結に始まって、
  アメリカ以外の国との「日英和親条約」、「日露和親条約」、など便乗条約の
  締結があった。


2. 通商条約の締結


  1856年アメリカ領事ハリスの下田着任に続いて、1858年「日米修好通商条約」が
  締結されると、それに便乗して、オランダ、ロシア、イギリス、フランスが
  「日蘭修好通商条約」、「日露修好通商条約」、「日英修好通商条約」
  「日仏修好通商条約」を締結した。


3. 外国公館の開設


  修好通商条約の締結にともなって、各地(横浜、長崎、函館など)に公使館、領事館
  を開設した。


4. 欧米人の居住開始


  公館の開設にともない、欧米人の居住が始まった。


5. 移住した欧米人のタイプ


  (1) 外交官、領事官、その属僚、
  (2) キリスト各派の宣教師、
  (3) 新開の市場に利を求める商人、やがて絹貿易で盛況になった。
  (4) 1868年以降は政府お雇い外国人(産業、軍事、教育、法制などの専門家)。


6. 居留地の建設


  居留民の増加にともない、新規に居留地を建設した。
   長崎:出島の他に大浦、 箱館(函館):港湾地区に、神奈川:横浜を拡大


7. 開国期の外国との郵便通信の実態


  居留民と出身国との通信手段の必要性
   (1) 国内は私営の飛脚、
   (2) 外国とは軍艦、不定期民間船舶(日本―欧州間は3ヶ月以上)


8. 輸送手段としての船舶の定期化
  1863.8.5 英国P&G社の定期航路第1船、横浜に到着、上海でスエズ行きに接続。
  1865.9.7 仏国MI社定期航路の第1船、横浜に到着、上海でスエズ行きに接続。
  1867.1.24 米国PMSS社定期航路の第1船、横浜に到着、横浜と桑港を結ぶ。


9. 日本の官営郵便の創業と成長


  1871.4.20 東京・京都・大阪間に官営郵便発足 輸送方法:脚力 平均時速7.24km。
  1872.8.4 全国に郵便網普及
  1873.8.6 日米郵便条約締結
  1875.1.1 同条約発効、在日米国局撤退、米国と米国の仲介により、主要国へ
        日本切手を貼った郵便差出が可能になった。
  1875.1.8 第1船PMSS社アルトナ号横浜から桑港へ。
  1877.6.20 日本、万国郵便連盟に加盟。残存していた英仏局の撤退を外交交渉。
  1879.12.31 英国、在日局を正式に廃局。
  1880.3.31 仏国、最後の在日局となった横浜局を閉局。日本の郵便主権確立。


10. むすび


  開国早々の日本には外国郵便を運営する能力はなかった。
  この時期に在日外国局は唯一の外国との通信手段として果たした役割は、歴史的
  にも評価すべきである。


  しかし、1875年以降、米国の協力のもと、外国郵便の運営能力を見につけた日本に
  とって、在日外国局は、日本の郵便主権を侵害している存在となり、外交交渉を重
  ねてその撤退を迫り、郵便主権を確立した。明治政府の懸案の一つ、条約改正の
  先駆けとなった。


感想から


○ 郵便の歴史に触れ大変勉強になりました。
 切手の美しいデザインには何時も感心していますが、長い歴史の積み重ねで日本の
 郵便事情が解り昔の人は大変ご苦労だったとつくづく感じました。
 松本講師の本をもう少し紐解き勉強したいと思った次第です。(小山さん)



○ 永い間じーっと鎖国を決めこんでいた日本の徳川幕府も ペリーの黒船来航で上を
 下への大騒ぎ。翌年の日米和親条約に始まり 次々と英露蘭と仲よくしましょう 
 下田、函館長崎を開港しましょう と約束をせまられました。


 捕鯨船の水補給だけでなく 外国商人も来て 生糸の貿易しましょうと1858年には 
 修好通商条約。 1859年幕府は 神奈川、長崎、函館 の開港と米蘭露英仏との 貿易
 許可を布告しました。


 ところが神奈川宿は 東海道の真っ只中 生麦事件が起こりだめだから横がわの砂浜に
 居留地を造り 玉石を並べて桟橋を造りました。 これが横浜港のはじまりで 昨年の
 2009年が 横浜開港150周年記念だったわけです。


 開国当時 この居留民と欧米社会との通信手段は 軍艦か民間船舶に頼むしかなく
 日本ー欧州の往復連絡は 半年もかかったとか。 この領事館郵便は日本の官営郵便
  が発達するまで活躍。1880年 仏 最後の郵便局が閉じ日本の郵便主権が確立。 
 その局が今の 横浜 港郵便局だった。


 西暦年次入りの説明資料は とても解かり易く 良く納得できた。 それにも増して
 驚いたのは 後ろの机に置かれた 松本氏の著書。 分厚い大型書籍にカラー版の
 郵便資料。横浜局投函から欧米到着までの 日次印、切手料金、消印の説明。 若い
 時代からの切手同好者の一人として 垂涎ものだった。

 それにも増して スバラシかったのは 同席された KAMEさんのご友人たち懇親の和が
  もり上がるにつれて いろんなご経験 楽しい話題で参宮橋はもりあがった。
 (とまとさん)



○ 先日の「メロウ倶楽部」主催の講演会にはからずも、参加させていただきありがとう
 ございました。


 当日の講師である松本純一氏とは、40数年来のお付き合いがあり当日参加させていた
 だくことになり、メロウ倶楽部に関しては何も知らず会場に参りましたが、在職時代の
 知人・友人がかなり多く参加されておられ、久方振りの有志会の雰囲気で大変懐かしく
 思いました。


 講演のテーマは「日本にあった外国郵便局」(当日題名変更)でして、松本講師(大先輩)
 の永年に亘る全世界の切手収集から体系づけられた郵便の歴史論でした。小生一度は
 生のお話しを聞きたいとかねてより思っていたものでして、大変興味を持って参加し
 ました。


 マーチャン女史の名司会による軽快な流れにのり、講演が始まり、自信に満ちた講師
 のお話は、大学時代の教養講座を偲ばせるアカデミックな内容で、我国開港を迫った
 列国の激しい攻勢の中で、各国の本国と結ぶ通信・情報手段として、郵便システムが
 同時に導入され、万国共通の通信ライフラインとして、我が鎖国国家に黒船と共に
 やってきた状況がより判るすばらしいお話しで感銘を受けました。


 その後の懇親会で、メロウ倶楽部の生い立ちから現状の全国ネットとしての活躍状況
 を詳しくお聞きすることができ、これ又大変感動致しました。
 小生も世田谷区の生涯大学に参加し実り多い熟年を大いにエンジョイさせていただい
 ていますが、全国組織であるメロウ倶楽部の活動の広さに羨ましくさえ感じさせられ
 ました。(佃さん)



懇親会

 会場設営をあらためて同じ場所で開催されました。
 講師を囲んで、話せなかったことなど聴きながら楽しいひとときでした。
 料理もおいしかった。



本・資料、会場風景及び懇親会風景

ー本・資料ー (クリックで拡大します) 
松本純一氏の本  英国郵便局から出した郵便 
松本純一氏の出版された本英国横浜局から出した郵便。1876.4.25横浜発、南仏のカヴァイヨン 6.18着。
料金24香港セント(米セントと等価)。
米国郵便局から差出  横浜仏局まで日本郵便、横浜から仏郵便で送られた 
米国横浜局から1874.8.14差出、リヨン着10.24。
料金20セント。
横浜仏局まで日本郵便で送られ、横浜からは仏国の郵便で送られた。そのため日仏両国の切手を混貼り。仏切手は1フラン。
新橋駅のポストに1875.1.4投函、横浜日本局で消印しフランス局に配達。パリ到着は2.17。
米国郵便局から差出   
新橋駅乗車口の情景 右の柱に掛けられた緑色の箱が郵便差立用のポストと思われる。
三代目広重「東京汐留鉄道館蒸気車待合室」(逓信総合博物館蔵)
  
ー会場風景ー 
あいさつ 講師 山口 肇氏
開会あいさつと紹介(会長)講師 
会場風景 懇親会風景 
会場風景懇親会風景
懇親会風景 懇親会風景 
懇親会風景懇親会風景
懇親会風景  
懇親会風景 
  


http://www.mellow-club.org/hikaru/top/index.html
(動画は、上記から 「講演会ビデオ」に入って『第29回メロウ倶楽部講演会
 日本にあった外国の郵便局』をご覧ください)


報告: 多摩のけん  感想: 参加者
写真提供: GRUE  本・資料提供: 講師
編集・HP作成: GRUE


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