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関東大震災・聞き書き

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/8/31 15:43
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
関東大震災・聞き書き
 両親が世にあったとき、震災記念日《関東大震災の犠牲者を弔う日》がくると、いつも「関東大震災《1923年9月1日》のときは、どうしていたんですか」と聞きました。
 すると、父は決まって、次のような話をしてくれました。

 いわゆる丸の内のサラリーマンだった父は「会社からは歩いてうちに帰ったよ」といっていました。
 (丸の内から大久保の新世帯の借家まで精々10キロ少しですから、まだ30才そこそこの父には、それほど大変なことではなかったのでしょう)
 勤め先と自宅が、60キロ、70キロも離れているーーーというようなことは、戦後のことで、それまでは、たいていの人は、そんな遠いところに住んではいなかった、だから通勤難民のような問題はそれほど大きくなかったようです。

 家では、18才の妻(私の母)が無事で帰りを待っていました。
 母は「近所の人が『火の手があがっているという話もあるし、商店が店を閉めるかもしれない。はやく、何か買ってきて置きなさい』と忠告してくれたので、近くの公設市場《こうせついちば=生活必需品を売る公設の場所》へ行ってみました。余震の中、なんとかたどり着いてみると、もう、お米は売り切れていました」といったそうです。

 「それで、なにを買ってきたんだ」と父が聞きますと「スイカが美味しそうだったので、大きいのを一つ買いました。それが重くて、ほかのものは買えませんでした」と答えたので、父はがっかりしたそうです。
 たとえ、お米が売り切れでも、乾麺《かんめん》、お煎餅《せんべい》など主食代わりにもなり、保存のきく食品を買っておけばいいのに。

 震災記念日には決まって、若い世間知らずの妻を前にして苦りきっていたであろう父のことを思ってしまいます。
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