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「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/4 9:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294
 
 洗濯はせんたく板で  1952年

 描き残したい昭和「洗濯はせんたく板で」 昭和27(1952年)洗濯板というのがあった。ぎざぎざの溝が弧を描いて何本も刻まれている。30㎝幅、60㎝長の大きさだった。毎日使うから真中がすり減っていた。たらいに水を張る。適量の水を手でしゃくってせんたくものを濡らし、亀の甲せっけんをこすりつける。せっけん水の濃度を適宜加減して板の上に押しつけて洗う。寒い冬もこうして洗った。母の洗う手は赤く染めあがり、こすりつけるエネルギーで飛び散る泡と共に蒸気が湧きあがった。便利は電気洗濯機の普及はまだまだ先のことだった。洗濯板はもう絶滅危惧種なのか。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/5 7:49
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 庭のトマト  1953年

 庭のトマト、取ってかぶりつく 昭和28年(1953年)
 今、昔のあのトマトが食べたい。あの青臭いトマトらしいトマト。すっぱいけれどもいかにもトマト。もうそんなトマトは出てこないのだろうか。ゴツゴツと岩のように凸凹していて大きかった。かぶりつく。トマトの汁が勢いよく飛び出してくる。飛び散った果汁は目に入って痛い。服に付くと色がなかなかとれない。トマトの香りはいかにもトマトらしい強い香りがした。当時家庭菜園が当たり前でどの家もトマトを作っていた。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/6 8:21
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 「年末の大掃除」  1949年

 昭和24年(1949年) 毎朝布団を上げた後の掃除は欠かさない。ハタキをかけ、畳を掃く。廊下は雑巾を固く絞って拭く。そして年末、一家総出で大掃除をする。高い所の埃を拭うのはお父さんの仕事。子供たちも気運を察して何かと手伝う。寒いけれども戸は全部開け放して動き回った。ハタキは色とりどりのぼろきれの切れ端をサイズに切って束ねて竹の先に紐で縛る。そしてひっくり返してもう一度紐で縛ると丸いたんこぶができてハタキが出来上がる。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/7 6:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 井戸は天然の冷蔵庫  1948年

 「井戸は天然の冷蔵庫だった」 1948年
 千葉県市川市は、どの家にも井戸があった。水道はまだ引かれていなかったので、水源はすべて井戸に頼った。井戸端は生活そのもの。顔を洗う。歯を磨く。みんな朝から井戸に集合する。米を研ぐ、野菜を洗う、洗濯をする。掃除のための水もバケツを持って汲みに行く。
 しかし楽しみは井戸に漬けたスイカ。子供らは冷えるのが待ち遠しい。暑い夏のおいしいおやつ。切り分けて与えられたスイカ。かぶりついて種を舌でより分け吹き飛ばす。また井戸は復活してもいいのではないか。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/8 7:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 蚊帳。

 「かや」と読む。もう死語となりました。そういえば蠅帳というのも死語になりました。蚊帳に入る儀式があった。蚊帳のすそを振り払い蚊を追いやってから潜る。それを怠ると蚊が入ってみんなからひんしゅくを買う。トンボを中に放してみたこともあるが。ロンドンオリンピックに参加できなかった日本は、フジヤマノトビウオ古橋広之進の期待を日米対抗水上にかけた。五球スーパーとまでいかなかったかもしれないラジオ。蚊帳の前において実況放送にかじりついた。ところでそのころ寝る前に衣服を畳んで枕元に置く。戦時中の名残でしょう。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/9 8:16
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 「もうじきお帰りお父さん」 1953年

 昭和の世相の一端です。当時のお父さんの帰宅は大抵5~6時でした。
 ♪♪コッチンコッチン時計が5時を打つ もうじきお帰りお父さん 次郎も一緒にお迎えに♪♪
 そんな歌が当時ありました。
 「日が暮れると仕事を終える」ということがあたりまえの社会だったのです。暗くなれば仕事もはかどらないということでしょうか。今では考えられないことです。夕方になると道に水をまき、植木鉢に水をやってお父さんの帰りを待っていたものでした。隣家三尺で道を掃き清めました。縁台でうちわを片手に朝顔を見ながらのんびり世間話する。墨田区寺島町は「格子を開ければ顔なじみ 回してちょうだい回覧板」の街でした。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/10 6:56
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 疎開先のもらい風呂 1945年

 昭和20年疎開先の福島県伊達郡柱沢村の柳沼長太さんの家。私たち一家は隣の青年会館に居留していた。「おふろ、くらんしょ」と一家をお風呂に呼んでくれた。庭の隅に小屋があって、そこが風呂場だった。風呂の水は下の池から汲んでくる。バケツで何回も往復する。その作業が大変なのでめったに水は取り替えない。それでお湯はすざまじい臭い。それでも「おふろ、くらんしょ」と呼ばれると、もらわざるを得ない。湯を沸かす炎が立ち上る。小屋の中のあかりはその炎だけだった。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/11 8:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 「さんまの骨を焼いて」というタイトルになるでしょうか。今でも私は魚の骨が大好きです。そのまま食べるか焼いて骨全部を食べてしまう。焼いていると骨の先が焦げて香ばしい匂いが漂い、煙が着ているシャツに染み付く。火鉢を囲む。五徳に骨を置く。骨の継ぎ目からジワーと泡が出る。自分の骨はきまっています。おかげで兄弟は骨が丈夫なようだ。今は火鉢がないので骨はガスレンジで焼くが情緒がなくなって寂しい。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/12 6:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 母の病院通い

 太平洋戦争が終わって一家は疎開先の福島から市川に戻った。幸い市川は戦火を免れた。戦時中の過労がたたって、母清子は極度の神経痛に襲われた。生来の股関節脱臼で左右の足のバランスが悪くそれが余計に神経痛を悪くした。千葉医大病院に通う。駅から病院までは上り坂。わたしの背丈がちょうど母の左手をつく高さにあっていた。小学校一年のわたしは母の体重を全身で支えた。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/13 7:34
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 昭和27年頃こたつは炭火だった。

 炭火を木の枠の中の火鉢に入れる。炭火は朝、薪でご飯を炊いたあと、残った真っ赤に焼けた薪炭を取り出す。薪炭をこたつのところに運んでくる母。布団をまくって火鉢木枠のふたを開け、薪炭を入れる。その作業は結構危険で時間がかかる。終わるのを待つ間、みんな寒い寒い。電気ストーブはまだ無い。部屋の暖房はこたつと火鉢。炭火に頼っていた。エネルギー問題などはない平和な時代だった。


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