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心のふるさと・村松 第三集 14

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通常 心のふるさと・村松 第三集 14

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/15 6:51
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

(三)、ショッピング (互いに知り合う)

 こうして村松駅におけるRTO(鉄道輸送事務所)の第一日目が始まったのである。でも、三人とも何もすることがなくて時間を持てあましている様子だ。そして私たちが家へ帰ると聞くと、遠慮勝ちに、一緒に行ってもいいかときく。ちょっと散歩したいし、買物もあるというのだ。
 「どうぞ」
と私たちは答え、そこで私たちは一緒に町に出た。
 駅は村松の町の一方の端にあって、その前を一本の道路が町の中央を横切って伸びていた、その半分ほどの所で、道は二股に分かれ、その一方が通信学校に通じていた。田舎町にはめずらしくちゃんと舗装された広い道で、二ケ月ほど前にはその通りを通信学校の生徒たちが毎日のように行進していた。汗を流し、ほこりにまみれ、軍歌を歌いながら…‥。

 私たちはゆっくりと歩いた。町の人びとは目を丸くして私たちを見送った。家の奥から駆けだして来て眺める者もあった。予供たちは慎重に、適当な距離を保ちながら後について来た。三人のアメリカ青年たちは、もの珍しそうにあたりを見回しながら歩いた。冬には雪が軒にまで達するために人びとの行き来する歩道には雪除けの屋根が設けられている。そして軽い板でできたその屋根は、板が風で飛んでいかないようにいくつも石が載っている。そういう家々の造りやもんぺをはいた女たち、背中に赤ちゃんをおんぶした母親たち。
 アメリカ人たちは好奇心にあふれていた。

 私たちは通りの店を一軒一軒のぞきこみながら歩いた。それでもそんなに時間がかからないほどの店の数であった。ある一軒の小間物屋の旅先でジョンソンがピタリと足をとめた。棚に小さな鏡がおいてあったのである。それを買いたいという。あとの二人も同様であった。そして彼らがついでに買ったのは、おどろいたことに小さな日の丸の旗だった。
 「それをどうなさるんですか」
と私はきいてみた。
 「ただスーべニアですよ」
と三人は答えた。
 ジョンソンの買った小さな鏡の裏には赤い布が張ってあった。彼は鏡に顔をうつしながら、はにかんだ表情で「モンキー!」と言った。いかにも、もしジョンソンは何に似ているかときかれたら、私はためらうことなく「モンキー」と言ったかもしれない。彼自身もそう思っていたのだから。しかしそれは立派な顔だった。誠意があって信頼感を起こさせる。ゲルマン系の面立ちで、年若のハワードもその系統だった。グレイの方は明らかにフランス系であった。

 私たちはやがて町長の立派な屋敷を過ぎ、郵便局、銀行を通り過ぎた所に理髪店があった。「ああ、早速ここへ来なくちや」と三人は呟いた。
 私たちは広い通りの終った所で別れを告げた。私は彼らに、間違っても迷子になる気遣いはないから大丈夫、と保証した。
 「あんな若い、感じのいい青年たちを真先に寄越すなんて、アメリカ軍もよく考えているわね。きっと町の人たちにいい印象を与えるわ」
 私たちの予想した通り、“村松駅の三人のアメリカ兵” はまもなく町の人気者になった。特に最初から最後まで駅の貨車にとどまったジョンソンは、村松に滞在したアメリカ兵たちの中で最もよく知られ、最も好意を持たれた “名士” になった。

 その中にこの北国の小さな町の人びとは、今までかって味わったことのない異国の味を賞味するようになった。アメリカ煙草とチョコレートである “キャンデイ” と総称されるチョコレートと煙草を米兵たちが取り引きに使うようになったのだ。それは当り前だ、と彼らは言った。スーベニアを買って帰りたいのに、彼らの部隊はあっちこっちとあまり頻繁に移動させられてきたので、給料が追いついて来ないのだ。小遣い銭がなければ床屋にも行けない、と殊にキャンプの外で生活しているRTOの三人は深刻だった。
 そうしている間も三人-ジョンソン、グレイ、ハワードーは自分たちの仕事を大いにエンジョイしていた。
 ひとつには彼らは自由だった。外出にも通行許可証はいらないし、三人の中で一人が持ち場を守っていさえすればいつでもどこへでも好きな時に外出ができた。
 飲み物も豊富だった。久野氏と町田氏がいつもビールと酒を差入れてくれた。
 それに駅にはきれいな若い女子職員が大勢いて、いつでも気楽に日本語の練習の相手をしてくれた。
 「軍隊生活がこんななら、いつまで軍にいてもいいんだがなあ」と彼らは異口同音だった。

 (注)本稿に載せた三人は、皆より一足先に派遣された米兵です。遅れて到着したペイン大佐を連隊長とする本隊二千名は、同年十二月まで村松に駐留していました。
 なお、私共旧少通生としては、自分達が終戦によって故郷に復員して行ったあとの村松がどのような形で進駐軍を迎え入れたかは、大変気懸りになっていたのですが、この後藤女史の本によって、仮令、それが一人の通訳の職務を通じて感じた受け止め方だったとしても、総じて終始極めて友好裡に進められたことが読み取れ、安堵しました。
 そして、これも堀氏三万石の城下町として、また、半世紀に亘る軍都としての歴史を持つ村松であればこそ出来た対応であろうと、改めて感慨を新たにした次第です。

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