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電気通信大学藤沢分校物語(9)2

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通常 電気通信大学藤沢分校物語(9)2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/7/25 6:00
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 9・2経済統制の進行(注92)

 日中戦争が長期化すると、一層の軍需増強が必要となり、軍需生産拡大のため、民需を圧迫する戦時経済統制が本格化していった。流通段階から始まった配給も、消費者への割当て配給が不可避になり、藤沢では1910年(昭15)7月の砂糖の配給制を皮切りに米・酒・味噌などの食料品、マッチ・靴下・木炭などの日用品も配給制となり1942年(昭17)末までには、その枠外に残されたものはないほどまでになった。

 軍需生産への資材・労働力の集中化をはかるため、1942年(昭17)には企業整備令が出され、1944年までに718名の転廃業者を出した。小売業者は、営業を続けようにも品物がなくなり、残った商人も統制物資の配給業務を担当してわずかな手数料を得るにすぎなくなった。1942年度(昭17)後半になると、金属類の回収が始まり、記念物・銅像・鐘などあらゆる物が対象となり、遊行寺の一遍上人の銅像も供出された。一般家庭からの回収を促進するため、藤沢市内の廃品回収業者43名を統合して藤沢市資源回収班を編成した。

 出征と労務動員によって農業労働力が減少し、肥料などの資材も不足してくると農業生産が急速に低下し、1939年度(昭14)から銃後農村生産力拡充運動が展開された。農繁期の共同作業、共同炊事、畜力利用が推進された。都市近郊農業として発展してきた果樹・高級野菜・花卉(☆かき)なども1941年(昭16)から栽培を禁止された。更に制限・禁止だけでなく、県から割当てられた量を目標に、米「麦・甘藷・馬鈴薯などの生産計画をたて、部落単位に作付けと供出量を決定した。あらゆる経済活動が「聖戦完遂」という目標に隷属し市民一人、一人の生活の全てを規制するに至ったのである。

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