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電気通信大学藤沢分校物語 (2) 2

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通常 電気通信大学藤沢分校物語 (2) 2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/2/13 13:10
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 3.6無線電信講習所の官立移管の意義

 無線電信講習所移管の事は多数の卒業生の多年に亘る希望であり過去民間よりの建議もされ、政府に於いてもその必要性を認め、幾度か関係省の議にも上ったが相当多額の予算を要する事として実現に至らなかった。然し事変の進展とともに通信士の需給問題が関係当局の議に上がり、1940年(昭15)の頃に官立無線電信講習所に就いて根本方針が打ち合わされ実現に就いての電信協会理事者の意見を求められたのは翌年の10月であった。その後何回か懇談を重ね、政府当局でも着々と計画が進められた。(注25)

 第79帝国議会(昭16. 12~17.3)に提出するべき追加予算の編成方に関して、閣議は直面する現下の時局に顧み重点主義に依り物資・資金・労務等の政府需要は戦勝の目的達成に必要欠くべからざるものに集中して実行に着手し、また計上する経費は真に緊急性を有し、実行可能性の確実なものであり3年以上かかるものは認めないとの方針を決定した。(注26)

 賀屋蔵相は財政演説中、特に重点を置き新規経費として計上したもの即ち差し措き難き経費の一つとして官立無線電信講習所設立に関する経費を計上した事を説述した。戦時予算の重点の一つとして官立移管が数えられた事は無線電信が如何に重大な役目を担うか、民に示されたものであり、その責任が如何に重大なるかを具に痛感せしめられた、また多年に亘りこの事を待望していた人々とっては如何に満足と希望を与えられたかを、想像せられ得るのであった。(注27)

 3.7官立移管前後の状況

 本物語は藤沢分校関係の資料を発掘し当時の事情を述べるのを意としている。当然の事だが当時の公文書は旧仮名遣いであり読み難い。そこで公文書を現代風の文章に書き換えて紹介する。

 「無線電信講習所の官立移管状況」として電信協会の廣島庄太郎(注28)が詳細に以下述べている。

 1942年(昭 17)1月 12日に至り官立校経費を含む予算が閣議決定されるとともに、政府からは従来の講習所を政府へ移管継承のこととすれば便益大なる旨の内示もあり電信協会に於いても必要な措置を講じていた。この予算案が愈々議会通過にあたり、政府から改めて下記の如く公文書で申入れがあった。

    電無367号
    昭和17年3月19日
    逓信大臣 寺島 健

 社団法人電信協会会長 若宮貞夫殿
 官立無線電信講習所設立ニ関スル件

 貴会は大正7年9月(注、実際講習を開始したのは大正 9年)国策的使命の下に無線電信講習所を設立し、爾来20有余年の長きに亘りあらゆる困難を克服して至難なる無線通信士の養成事業を鞅掌(筆者注オウショウ:仕事が忙しく暇のないこと)してきましたが、殊に支那事変発生後に於ける無線通信士の需要の増加に対しては良く政府の方針に速応して、所要設備の整備拡充を行い、極力収容人員の増加を図ると共に臨時の養成、其の他の措置を講じて、時局下の重要なる無線通信士の供給に不撓の努力を傾倒しました。今般大東亜戦争勃発に当たりましては陸、海、空無線通信の運用確保に支障がなく、戦争遂行上にも多大の貢献がありました事は国家の為慶賀に堪えざる所でありまして、ここに貴会の永年の御功績に対し深甚なる敬意を表します。然し時局の進展と共に、近時無線通信士の需要は更に急激なる増大を来たし、其の素質に就いても格段の向上が必要となりましたことを踏まえまして、政府は諸般の事情を考慮の上、無線通信士養成事業を直接逓信省に於いて経営することに決定し、昭和17年度より実施のこととなりました。実施に当りましては時節柄、経費及資材等の関係もあり貴会管理無線電信講習所の施設を移管し継承のこととすれば大きな便益があると考えられます。就いては以上の事情を御諒察の上宜敷く御配慮を賜りご面倒をおかけしますがご賛同を得たく御願い申上げます。

 この申込に対して電信協会としては講習所の施設を挙げて政府へ寄付すると云う事は頗る重大なことなので、まず理事会、商議員会を開いて慎重審議を行いその決議の後、昭和17年3月28日臨時総会を招集し協議した。会長は本件について次の通り出席会員に説明した。即ち「昭和17年度初頭から官立無線電信講習所を設置することとなり、今回政府当局からの公文書に依り本会の無線電信講習所設備を無償で政府が譲り受けたい旨、申入れがあったのでこれを本総会に附議すると述べ、本会が当初講習所を創設した経緯に鑑み、この際進んで講習所の設備一切を政府へ寄付するのが最も時期に適した措置と認める」旨の説明をして賛否を諮った結果、これを寄付することに出席会員異議なく賛成し、提議の通りこれを決議すると共に電信協会から次の寄付願書を政府へ提出することを決議した。

     昭和17年3月28日
     社団法人電信協会会長 若宮貞夫
 
 逓信大臣 寺島 健殿
 無線電信講習所施設寄付ノ件

 3月19日付電無367号に依る御下命の趣を承け賜りました。また本協会従来の事績に関し殊に御過賞に預かり誠に恐縮に存じています。御高諭の通り、本会管理無線講習所は無線通信士の養成の為、大正7年官民各面の希望と援助の下に創設しものであります。爾来、其の設備の改善と養成員素質の向上とに努め、当時に於ける斯界の急需を充たすことが出来ました。然し大戦後打続く経済界の不況は海運界にも深刻なる打撃を与え、本講習所に於いて折角養成した通信士も通信士と、ての職がなく、一時は多数の失業者を生ずるに立ち至りました。この救済の一助として、制度の改正に依り一時生徒の卒業を延期し、或は募集員を減少する等、種々の手段を講じましたが、素より需給調節の目的を達するには至らず、加えて生徒数の減少は直に協会の収入減を来たし、経理上にもまた確実な悪影響を及ぼしまして、当時の協会当務者の苦心は実に容易ならざるもので有りました。然しながら、将来我国運の進展に伴い、必ずや此種の技術員の需要が増大し、本事業に対して国家としても必要性が認められる日が恐らく遠くないと想い、難渋を凌いで本講習所の経営を継続してきた次第であります。然るに、其の後上記の予想に違わず昭和 11年頃より経済界は急速に回復し、船舶の建造せられるものが相次いで現れただけでなく、更に勃発した日支事変は航空機、其の他の方面に於いても著しく無線電信通信士の需要を喚起する情勢にありましたので、本協会は此の成り行きを考え、政府当局の協力を得て、翌12年初頭、新に短期修行の通信士養成を開始すると共に校舎其の他の設備拡張に着手致しました。しかし其の工事未だ落成しないうちに、早くも満州国建設に伴う諸般の計画及日支事変の進展は、船舶は勿論方面に異常なる活動を促進して無線電信通信し士の需要が増大して、既存の設備を以てしては到底之に対応する個は不可能となりさらに相次いで第二次、第三次の拡張を行い、最近ほぼ新設備の完成を遂げた次第であります。この新設備では約1,500名の生徒を収容し得ることとなりまして、今にして往時の苦難時代を追想する時は誠に感慨無量のものがあります。これ偏に官民関係各方面より寄せられた厚き御同情の賜物に外ならざることであり、本協会は感激せずには居られないところで有ります。以上の如く本協会が、過去20有余年に亘り鋭意苦心して本講習所を経営してきました理由も、要するに優秀な通信士を供給して、我国に於ける無線通信事業の進歩発達に資せんとする微意に過ぎないことであります。従って今、本講習所設備を政府に於いてこの目的の為に御使用相成りますことは、本協会の本懐とする所でありまして、依って本協会会員総会の決議に依り別紙目録の通り講習所設備一切を挙げて寄付致しますので何卒御受納して頂きたく御願い申し上げます。     
 敬具

 寄付物件目録:土地、建物、附属設備、機械類、
 什器類など(筆者注:詳細は省略)
 評価合計:1,438,559円(筆者円以下切捨) 
 再製概額合計:1,642,151円(上と同様)

 昭和12年から15年迄逓信省電務局無線課長として、講習所の主管課長であり、当時の事情をよく知る宮本吉夫(元逓信院電波局長)は「若宮貞夫先生追憶」の中で次のように述べている。「この文書が20余年にわたる講習所運営の苦心を述べているところは、読む者の胸を打つものがあり、若宮会長の人格と心情をそのまま反映したものであり、いかに戦争による要請であったとはいえ、多年の辛苦の上ようやく軌道にのった講習所を、無償で、国に寄付されるに至ったことは断腸の思いであったと想像する。それにも拘わらず、「本協会の本懐」と述べられ、些かの報償もなく、国に寄付提供されたのであった。」(注29)

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