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電気通信大学藤沢分校物語 (2)

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通常 電気通信大学藤沢分校物語 (2)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/2/13 12:57
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4294

 電気通信大学藤沢分校物語 (2)

 誕生から廃校まで

 近藤 俊雄(33B)

 誕生から廃校まで

 前号では昭和17年までの歩みについて述べた。
 概略の年表は以下の通りである。

 1879   明12  万国電信条約加盟
 1893     26   電信協会設立、若宮正音会長
 1904     37   日露戦争に電気通信が驚異的威力を発揮
 1918   大 7   社団法人電信協会管理無線講習所開設
 1924     13   若宮正音死去、若宮貞夫が後継者となる
 1937   昭12   日支事変、民間無線通信士の需要激増
 1941     16   大東亜戦争
 1942     17   第79帝国議会、官立無線電信ケ習所成立

 本号では無線講習所初代所長若宮正音、第 2代所長若宮貞夫について、また昭和17年、官立無線電信講習所が開校する直前の動きについて述べる。尚、敬称は省略した。


3.5若宮正音と若宮貞夫

 若宮正音(しょうおん)は 1854年(安政元)兵庫県豊岡町の西楽寺の住職若宮正海の長男として生まれた。長じて本家と僧籍を次弟の正響に譲り、自らは大阪師範学校で学を修め岡山などで教員を務めた後、和歌山新聞の編集長を経て、やがて上京して工務部の官吏となり、逓信省の新設せられるやこれに転じ、逓信大臣秘書官から外信局次長、工務局長を経て 1891年(明 24)初代の電務局長となった。その頃、電話開設につき渋沢栄一等の民営論と工部省(後の逓信省)の官営論とがあったが、初代逓信大臣榎本武揚、逓信次官前島密を説いてこれを実現させ、1889年(明22)私設の制限つまり官営を規定した「電信電話線私設条規」が制定されて片がつく。前島の官営論を理論武装し、私設条規をまとめ上げたのが若宮正音である。また正音の最大の功績はインフラ整備のための「電信電話線建設条例」の制定でありこの条例が廃止されたのは、実に1953年(昭28)であった。。電話事業の生みの親」ともいわれている。(注21)

 それ等の事は逓信協会雑誌第29号電話創業20周年記念号(明43年)に「電話創業の回顧」(明43年)と題し自ら執筆している。1894年(明26)農商務省商工局長に転じ度量衡制度の確立に努力した。漢籍や書を愛したが、また碁が好きでいつも来られるのが秋山好古陸軍大将(筆者注:司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公)や土佐の政客竹内綱などで、秋山将軍は日露戦争でコサック騎兵と戦って秋山騎兵旅団の勇名を馳せた武人らしく、馬を玄関前の松につないで烏鷺(筆者注、ウロ:囲碁の勝負を云う)を闘わせられたというし、竹内さんは(帰りが)遅くなって書生もお送りしたが、よく迎えに来られたのが若い実子である後の宰相吉田茂さんだったという。1924年(大13)4月急死した。(注22)

 若宮貞夫は 1875年(明 8)豊岡町若宮正海三男として生まれる。1899年(明32)年東京帝国大学法科卒業、逓信省に入る。同年長兄正音の養嗣子となる。1922年(大11)逓信次官、1924年(大 13)1月退官した。同年 5月第 15回衆議院議員に当選、第 20回総選挙まで連続当選。1931年(昭6)犬養内閣の陸軍政務次官に就任、1934年(昭9)政友会エ事長、1941年(昭16)鳩山一郎を中心とした同友会結成に参加。その他衆議院予算委員長、国連協会理事等務めた。

 1946年(昭21)9月死去した。(注23)若宮正音会長の後継者は、正音会長の末弟で、逓信省管船局長また逓信次官として海運行政に貴重な経験を有し、特に船舶無線の重要性と、これが進歩に深い関心を持つ斯界の第一人者であった若宮貞夫が経歴、伝統からも最も適任であるとの一致した世論に従って、同年5月、電信協会の会長に挙げられ無線電信講習所経営を引き受け第二代所長(大13年4月~昭17年3月)となった。(注24)

 将に自身は衆議院選挙渦中のなかの決断であった。貞夫の四女正は元高知県知事橋本大二郎の母、貞夫は大二郎の外祖父にあたる。正は元総理大臣の橋本龍太郎の義母。龍太郎の実母春は龍太郎生後5ヶ月で急死、父竜吾は龍太郎7才の時、継母正を迎えた。龍太郎国会初当選の時、母正が国会に付き添った事から当時「マザコン代議士」と、また高知県知事大二郎に代わってしばしば入院中の義母を見舞った母親思いの美談は当時の新聞の話題を呼んだ。

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