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その8 ★ 限秒談義 ★

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夏子

通常 その8 ★ 限秒談義 ★

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7
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/15 13:26
夏子  半人前   投稿数: 22
 台風去って秋が訪れて来るころ、どこでも村、町あげての楽しい運動会が始まる。先だって東京都内の真ん中の小学校で狭い狭い運動場に見物人がぎっしり立って賑《にぎ》わしく声援しているのを見た。やっぱり都会でも片田舎《かたいなか=都会から遠く離れた村里》でも秋と共にある状景である。

 町ぐるみになって行われるこの運動会が何時《いつ》頃から始まったものかよくわからぬが、なかなか威勢のよい気持ちの出た行事だ。

なんでも明治の初め鎮台《ちんだい=陸軍の軍団》で歩武《ほぶ=足どり》堂々の威容を世に紹介し、当時国民をアットいわせたそうだが、それにヒントを得て学校内容を面白く取り込んで就学奨励の一助《いちじょ=少しの助け》にしたものだと誰かがいったのを記憶するが、これがほんとうか責任はもてない。しかし明治百年過ぎた昨今からして見ると余程《よほど》歴史の古いことは想像される。

 年々回を重ねると色々工夫をこらし、走ったり、飛んだり、踊ったり、演技は多種多様満艦飾《まんかんしょく=軍艦が旗などで飾る事から変じていっぱい飾り立てること》の下でにぎやかに時代の流れを宿し、特に高学年のダンスや何々対抗リレー等は、人気の中心となってプログラムに綴《つづ》られているのは昔も今もあまり変わらないかに思われる。

終戦後になれば練磨《れんま》の運動会に楽しい行楽気分が加味せられ仮装行列《かそうぎょうれつ=いろいろの変装でねり歩く》場面が台頭《たいとう=頭を出す》するとか、開催日が大体十月であったものが、最近ではどこの学校でも九月中に挙行されるようになった。

 戦前は十月十五日勝田神社のお祭当日は中学校(現米子東高)、十月十七日神嘗祭《かんなめさい=伊勢神宮のお祭り》当日は女学校(現米子西高)、その他の地方の学校はその前後となって、米中米女の運動会が米子界隈《かいわい=あたり一帯》の秋の最高潮であったものである。

各小学校では米中米女の各運動会の小学校対抗リレーに出場し、優勝を競うに懸命の練習。一方中学生(男子)は見学してはならぬと禁止してある女学校の運動会に出かけ、それがわかり停学処分をうけたものが毎年幾人かあったが、今どきの子供たちの自由な姿にくらべ、想《おも》えば痛ましい時代であった。

 当時(大正時代)米中では日露戦争の影響あってか奉天戦《ほうてんせん=日中戦争の一部》を型どり、兵式教練《きょうれん=学校で行う軍隊式訓練》を披露《ひろう》して最後に攻防戦となり空砲を交えて空激する実戦さながらの場面を展開する。勝田さん(夏子注:勝田=かんだ神社)参拝客もこれを見学せんと遠くから出かけたものである。

また水兵競争といって高い(十米位)マストの上にある旗を、綱をつたって登りその旗を早くとって決勝に入る競争など、時には観覧者を驚かせ冷や汗を握らせたりして演技の妙を発揮したものだ。

 こんな多彩な演技の中“限秒”というのがあった。それが後世の短距離(百米)競走となる元祖ではなかろうか。

先ず出発合図には今のピストルにあたる村田銃《村田氏が1880年完成の小銃》を肩にのせて、引き金を引いてズドンと一発、選手は決勝線を知らぬ。時間で十幾秒位経つとズドンと一発、走っていた選手は直ちにその場に止まる。

先にいって止まっている者が一等、その次が二等となる。時間内に走れるだけ走るということで何時ズドンと一発なるものやら、15秒か17秒か時間は出発係の考えだ。走るコースは円周だから見物人はよく見えるので声援がよくとんだもので、短距離界のホープを目指す連中は勇んで出場したものだ。

私も出場して一等になって賞を受けたものであるがこれが百ヤード競走となり、百米となって、現今の百米競走となり時代は百米を十二秒で走り、十一秒台となり十秒台となって九秒台が世界記録となっている。

 しかし限秒は時間はあっても走った距離はいわず、只《ただ》他人よりも先におることだ。私達人生は百年生きることでなく、ズドンと胎内を出発いつ止まれの号令がでるものやらいざ知らず、一日一日を懸命に走り続ける人生だ。その日の充実は先に生きるエネルギーである。若い時代の一つの競技“限秒”を想い出して若さをとりもどしたい。

武者小路氏は『生れけり、死ぬるまでは生きる也《なり》』といっているが限秒談義ともいいたい。

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